いつものように旧部活棟の屋上でのんびりと過ごす。
そこには最早当然のように北野も居て、今はどこからか持ってきた体育マットに寝転がって本を読んでいる。
『存在の仕方』というタイトルの本だ。
なにやら小難しい顔をしながら読み進めている。
「北野、何?その本」
タイトルが気になって聞いてみる。
「んー、何だろう?よくわからない」
しかし読んでいる本人がそう答える。
「どんな内容なの?」
「それがよくわかんないんだよね。自己啓発なのか、哲学なのか、はたまた心理学か道徳か。とにかくそんな感じ」
聞く限り、確かに北野が小難しい顔をするのがわかる気がした。
「どこから持ってきたのそれ」
「多分、元文芸部の部室?なんか色々残っててさ」
ここ最近の北野は、この旧部活棟内の探索に明け暮れている。
たまに僕も付き合ったりするのだが、これがなかなか面白い。
少し前の時代の学校生活というものを少しだけ垣間見るような、そんな感じだ。
「で、この本だけやたら目についてさ。これは読めってことかなって思って持ってきたんだけど・・・」
言いながら、本を僕に手渡す。
受け取った本の表紙の感覚が、少しザラザラしていて触り心地が良かった。
バーコードなんかもついていないし、出版社の名前もない。
恐らく過去の文芸部員が作った本なんだろう。
少し目次を見てみる。
そこには『自分とは』『生きる意味』『見え方』『立ち位置』などなど・・・。
なるほど、小難しそうな本だ。
「宮森はわかる?それ」
「うーん・・・とりあえず、相当な覚悟を以て読み始めないといけないことはわかるかな」
「そうだよねー。なんかよくわからん」
北野は再びマットに寝ころんだ。
こうしているとまるで猫のようだなと思った。
僕は再び本に目を向ける。
題名、『存在の仕方』。
著者、『海野渚』。
よくできた名前だなと思った。
恐らくはペンネームなんだろう。
パラパラと適当に本をめくる。
『私たちはなぜこの時代に生まれ、なぜ生きるのだろう?』
『今いる場所が気に食わないなら、まず自分自身が変わるしかない。しかしそれは何も自分を殺して周りに合わせろという事ではない。むしろ真逆ですらある。』
『環境を変える。いや、整えると言った方が正しい。しかしそれも、まずは己を見つめ直す所から始めなければならないだろう。』
・・・なんとも哲学的な話だ。
北野が言っている事がよくわかる内容だ。
でも僕は、少しだけ。
ほんの少しだけだが、何かわかる様な気もした。
漠然と、人は今も昔も同じようなことで悩んでいたのかなと思う。
そんな事を話していると、入口の方に誰かの気配がした。
屋上の扉を開けて出てきたのは、なんと畠山だった。
「おっと先客がいたか。・・・成程、今回はお前らか」
「・・・なんで先生がここに?」
「まぁ、多分、お前らと同じ理由だな」
畠山は頭の後らへんをポリポリと掻きながら言う。
「今回はってどういう事?」
僕は第三者がここに来るとも思っていなかったから、畠山の登場そのものに驚いていたのだが、北野はその言葉に引っかかったらしい。
「ん?そのまま、言葉通りだよ。何年かに、何人かいるんだよ。ここを気に入る奴が。大抵、お前らみたいな奴らだな」
僕はそれを聞いて、むず痒いような心の奥がザワつくような、そんな気分だった。
「・・・いたんだ。僕たちと同じような人が」
「そりゃいるだろ。なにも特別なわけじゃない。・・・ちゃんと正常だよ、宮森」
そう言って、僕の頭をがしがしと撫でつける。
思いのほか大きく熱を持ったその掌に、僕は不覚にも少し泣きそうになってしまった。
「センセー、そういうの今は男女問わずセクハラって言われるよ」
「げ、そうか。すまん宮森」
「・・・大丈夫です」
悟られないよう、ゆっくりとそう呟く。
「生き辛い世の中だねぇ、センセ」
ししし、と悪戯っぽく笑う北野。
「お前が言うなよ北野。・・・しかしここはほんと変わらないな。まるで時間が止まってるみたいだ」
「先生もよくここに来るんですか?」
「・・・まぁ、たまにな」
さっき、畠山は僕たちと同じ理由だと言っていた。
大人でも、あるのだろうか。
日常に置いてけぼりにされてしまう事が。
「お、『存在の仕方』か。懐かしいな。俺も昔読んだよ」
畠山は僕が持っていた本を見て言う。
「読んだの?私全然わかんなかった。抽象的すぎて」
「ははは、そうか。でも多分、お前たちならわかる日がいずれ来るさ。なんせこの作者はお前たちと同類だからな」
そう言う畠山は、慈しむ様な、少し泣きそうな、そんな微妙な顔をしていた。
「え?先生知ってるの?」
「ああ、それの作者は俺の同級生だ。よくここに来て、よくわからん話をしてたよ。・・・まぁ、今思い返すと結構大切な話をしてたんだなって思えるけどな」
今の僕と北野の様な関係だったんだろうか。
そう思いながら、改めて本の著者を見る。
『海野渚』と書かれている。
やっぱり、よくできた名前だなと思った。
「海野渚さん・・・本名なんですか?」
「ああ、本名だ。その本も、海野がここに在学中に書いた本だ」
それを聞いていた北野が、ガバッと身体を起こし聞く。
「は?!在学中?私たちと同じ年のころにそれを書いたって事?」
畠山はがははと豪快に笑った。
「ああ、そうなんだよ。意味わかんないだろ?でも海野はいつもそういう事を考えていたような奴だった。たまによくわからん問いかけをされていたよ」
「なんか、凄い人だったんですね・・・」
「と、思うだろ?でも、ここで話すとき以外は案外普通な奴だったよ。普通に友達と喋って、遊んで、勉強してた。その本もな、ある意味私小説に近い。日記みたいなものだって言ってたな」
「日記・・・」
北野は思案気に顎に手をやる。
「宮森、もっかい貸して」
手に持っていた『存在の仕方』を北野に手渡す。
すると北野はそこから熟読し始めた。
畠山がその様子を見て少し微笑んだ。
「・・・あの本はな、海野が悩みに悩んで、自問自答を繰り返しながら書き上げた本だ。その考えに至った経緯や、気付きなんかが無造作に並べられている。だから、普通に読もうと思ってもなかなか読めない。海野渚という人物が、どのように考え、どのように感じたのか、そう思って読めばなかなかに興味深く面白い。なるべく自分自身がフラットになって読むのがコツだな」
最後は少し笑いながら言う。
それを聞いて、僕は本とは本来そういうものなのかもと思った。
その観点に立てば、今までの本だってまた違った読み方ができるかもしれない。
・・・ああ、そうか。
これが、視点が変わるって事なのかも。
そう気付いた僕はなんとなく、少しだけ楽になれた気がした。
おわり